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bhagavad gita 2章 8節

初めの祈り

om namo bhagavate vasudevaya

(ヴァスデーヴァの息子、ヴァーステヴァ、ヴァガーヴァーンに心から敬意を表する)


【2-8】

na hi prapasyami mamapanudyad yac chokam ucchosanam indriyanam

avapya bhumav asapatnam rddham rajyam suranam api cadhipatyam

(たとえ、天界の神々を支配する力で地上に無敵の王国を勝ち得たとしても、身も心も枯れ果てるこの悲しみを追い払うことはできません)

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アルジュナはクリシュナを精神の師として受け入れた。正しい教えをクリシュナに乞い願い、どうしたら良いかをこの節でもその思いを言葉にしている。

アルジュナはもっともらしい意見を述べて、どうにかこうにかこの戦いを避けたいと述べてきたが、結局、それが正しいのか分からず、最終的な意見をクリシュナのに求めている。アルジュナは精神的な師がいなければこの問題を解決することはできないと理解した。自己の範疇の知識や力では解決できないことがあることを、私達生命体は本当に気付かなくてはならない。

それは3の苦しみ(自己の身体と心の苦/他人の身体と心からくる苦/天変地異)、そして生老病死である。どんなに文明が進んでもこれらの問題からは絶対に逃れられない。これがある限り問題は続くということでもあり、もしそうだとしたら、これを超えれば幸福になれるということでもある。

生命体の問題は、お金が無いことでも、美しさ、名声、(物質的)知識が無いことでもない。それは2次的な問題であり、究極的な問題は「自己が何者であるかを知らないこと」である。全てはこの問題(無知)が原因であらゆる問題(と思うもの)を引き連れてくる。アルジュナが苦悩している原因も全く同じである。

ヴェーダは一貫して【生命体の立ち位置】を教えてくれている。それは自己が何者かを知るということでもある。自分の立ち位置が分からなければ、自分とも周りとも調和することは難しい。もし、自分が新入社員だという立ち位置を認識せずに行動するのであれば、周りに対しても自己に対しても自分が良いようにあらゆる行動をとるだろう。それは礼儀という道理を無視した行為であり、きっと後に多くの問題がやってくることが想像できる。

どんなにお金を積まれても、どんなに高い地位を与えられても、どんなに美しさを得たとしても、全ては生命体の力の及ばない強大な「時」の影響によって最後に全て灰と化す。この世界のものでは絶対に拭うことのできない不安がある。それが「死」である。その問題を解決せずして、この世界を楽しもうとするということは、「裸の王様」状態みたいなものである。

シッダ

経典にも書かれてある。生命体にとって一番肝要な問題である、【生命や人生の問題】について、自己の知識では解決できないという無力さを知る必要がある。何が本当に生命や人生の問題を救ってくれるのか、、。私達生命体はそれがお金でも、美しさでも、地位や名声でも無いことを知っている。だけど、それを教えてくれる人も居なければ、心の弱さがあるが故に、それを求めようとも思わないし、例えそれを知ったとしても信じぬくことが極めて困難である。この問題に手を差し伸べてくれるのが精神の師(グル)である。

どんなに経済が発展しても、医学がどんなに進歩しても生老病死からは逃れることができない。生命体が何の為にお金を稼いでいるのかと問われたら、少なからず幸福になりたい望みがあるからだ。生命体は皆幸せを求めている。その幸せや平和とは死を克服した時に初めてやってくる。

アルジュナはここで、「富や地位や名声をもらっても、この悲しみを追い払うことはできない」と言っている。つまり、富や地位や名声、美しさは生命体の幸せになり得ないということを伝えてくれている。 それは最後に灰と化す運命であるし、心の平安を得ることができなければ、生きている意味がない(幸せに感じない)からだ。

真の幸福は心の平安である。それはこの世界の環境に絶対に依存しない。クリシュナだけに依存している。それは心の平安とは人知を超えているということ。だからこそどんな状況にも左右されない。

心の平安を得ることを解放と呼ぶ。生命体はいつの時も心の平安求めている。その答えを与えてくれるのはクリシュナ(根源の精神の師)だけであるし、なぜクリシュナなのかということを知っている精神の師が必要である。だからアルジュナもクリシュナを師に置いた。

幸福でないものを誤って幸福だと感じているからこそ、天変地異や流行病が蔓延した時に、人は道徳心を失うことがある。それは何が心の平安を与えてくれるのかということを知らない、、自己を知らない(無知)からの理由に尽きる。

人知を超えた範疇で物事が展開された時、最後に生命体がどこに行き着くか、、「どうか神様、救って下さい」神に祈りを捧げるほか無いと、無意識に祈るだろう。

生命体は最終的に何に頼るのかそれを知っている。そしてこの祈りという宣言が人のみができる最も尊い行動に他ならず、必ず心の平安へ繫がっていくのである。

アビシェーク

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バクティヨーガ叡智が凝縮されたジャヤーナンダ・ダーサー師 解説本

ヨガインストラクター:Prema Yogini d.d(プレーマ・ヨギーニー)

心の健康=幸せとは何なのかを求めヨガに出逢う。

ヨーガが現代に必要な教えを与えている事に気付き学び始める。

ジャヤーナンダ師を師事。

現在もその師の元バクティヨーガの純粋な教えを学んでいる。

バクティヨーガは完全な幸せを知る唯一の方法であり、それはセンチメンタルではなく、完全な科学です。

この世界の科学は便利さという幸せに近いことは追求できますが、本当の幸せを追求することとはまた違います。

バクティヨーガとはこの世界や宇宙がどのように構成、運営されているのか、生命体はどのような構成なのか、それを全て説いた上で、幸せとはなんなのかを私たちに寄り添うよう伝えてくれています。

完全な幸せは優しさや愛情という形でどの生命体(魂)の中にも存在し、それで満たされた本来の姿を知り、味わってもらえたら、、とバクティヨーガの叡智を伝えたく、このYoga Premaを立ち上げる。

資格

ギーター・プラチャーリカ/ インド政府公認ヨガ資格/ ホットヨガ指導資格/ FTPマットピラティスベーシック/ 全米アライアンスRYT200/ アチュータゴッドラ・ゴーディヤヴァイシュナヴァ パランパラー

ヨーガを学び指導し始め12年、yoga ziyuuを自身で立ち上げ6年継続後、一旦休止。Yoga Premaとして活動を再開。

現在は東京、宮城、他県にて経典はもちろん、経典の教えがアーサナの中にあることも伝えアーサナのクラスも行い、ヨーガの真理を伝えることに従事、尽力している。