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bhagavad gita 2章 11節

初めの祈り

om namo bhagavate vasudevaya

(ヴァスデーヴァの息子、ヴァーステヴァ、ヴァガーヴァーンに心から敬意を表する)


【2-11】

sri bhagavan uvaca-

asocyan anvasocas tvam prajana-vadams ca bhasase

gatasun agatasums ca nanusocanti panditah

(至上者クリシュナ語る。君は博識なことを話すが、悲しむ価値のないことを嘆いている。真理を学んだ賢者は生きている者にも死んだ者にも悲しまない)

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アルジュナはクリシュナにどうしたら良いか教えを乞い願い、そしてクリシュナは「悲しむことの無いことで嘆いている」と伝えている。そして「君は真理を学んだアーリア人だよね。価値を置くものを少し間違えているよ」とアルジュナに伝えている。

クリシュナはここでアルジュナに、「学んだ人」はどんな人か忘れてしまったの?と弟子であるアルジュナを叱っている。

私達は【叱られる=悪い】という概念があるが、師との間ではその概念は全く違い、【慈悲】である。

そしてそれは理由がない。あるのはただ純粋な愛情。

親は何故子供を叱るかと言えば、愛情からである。それには理由が無く、愛からその行動が行われる。

【理由が無い】というのは、自己の欲が完全に無い状態である。その時、本当の愛情、純愛(聖愛)となる。だが、私達はどんなにどんなに愛してもそれは純愛にはならない。

何故なら不完全な感情しかもっておらず、この世界に生まれた時から望み(欲)を持っているからである。望み(欲)を持って生まれた生命体は多くのものに【理由】を欲する。

そらは私達生命体には最後の最後まで残るアナルタ(不要なゴミ)があるからだ。

・ラーバ(自己の利益) ・プージャ(自己が崇拝されたいと望む) ・プラティシュタ(自己が特別だという概念)

どんなにできた人、でさえも必ずこの3つは最後の最後まで残るアナルタである。この3つは皆生まれた時から持っており、これがあるが故に、人はどんなに頑張っても純粋な愛を生み出すことはできない。

純粋な愛を持つことが出来なければ、必ず何か理由を付け自己を守ろうとする。それが利益なのか、名声なのか、、生命体は純粋な愛を忘れたが故に様々なことを理由に問題を生み出しやすい。迷ったり悩んだりした時に、注意深く自己の心に問いかければ、最終的に何がそうさせているのか、、必ず3つのどれかが残る。【エゴ】である。

ヴリンダーヴァン

純粋な愛のみがこの強力なゴミを全てキレイに拾い癒やしてくれる。それは理由の無い慈悲を配れる人だけである。それが「師(グル)」である。だからグルの言葉は純粋な愛からであり、全てが慈悲であり、だからこそ、必ず悲しみからからすくい上げてくれる。ここでアルジュナも又、クリシュナから慈悲をもらったのだ。

まずクリシュナは真理とは何かを伝えてくれた。それは「自己は何者か」ということ。「肉体」と「魂」は違うんだよ、、と伝えてくれ、生命体の本当の姿は「魂」なんだよと教えてくれた。

日本では肉体が無くなった時、「成仏」と言う言葉を使う時がある。これは一体何に対して使っているのだろうか、、私達は確かに肉体や感情以外のものが自己の中に在ることを認識している。ただ、知覚ができないと思い込んでいる。実際に経典にこう書かれている。

「生命体は束縛されている(アナルタがある)が故に、魂の活動(バクティヨーガ/献身奉仕)がとても簡単と言うことを忘れてしまっている」と。

生命体には3つの身体があると言われている。ひとつは肉体(上着)。ひとつは幽体(下着)。ひとつは魂(本当の身体)。私たちは無知が故に、そして純粋な愛を忘れてしまった為、本当の身体である魂は知覚できず、感情が肉体を支えていると誤って認識してしまっている。だから感情が満たされないと不幸である、、と感じてしまう。

自己が魂と理解すること、それが真の知識であり、それを真に理解している人は肉体がどうのようになろうと、決して悲しむことは無い。大切なものは肉体ではない。これを知っている人が「学んだ人」である。そして、何が「物質的」で何が「精神的」なのかを知ることが知識である。

生命体の幸福は自己実現である。それは自己の姿が魂であるということ。この1番大切なこと、真の知識を知らないから悲しまなくて良いことで悲しんでいる、、とここでクリシュナは教えてくれている。 物質的な知識をどんなに集めて博学になっても、肉体の為に集めた知識は肉体と運命共同体である。つまり、最後は灰になる。

肉体に関する知識は魂の知識に比べたら、全く意味の無いものなのだ。それを知っている人は、どんなことが起こっても、嘆き悲しむことはない。何故なら生命体にとっての本当に幸福を知っているからである。

生命体は日々、一体何を大切に生きているのだろうか、、アルジュナと同じように、クリシュナは全生命体に対して、純粋な愛からの叱責という慈悲を投げかけてくれている。

バクタ

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この内容全てジャヤーナンダ師より与えられた経典の叡智から得たものです。 師の本には更に多くの教えがあり、それを学ぶことができます。

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ヨガインストラクター:
Prema Yogini d.d(プレーマ・ヨギーニー)

心の健康=幸せとは何なのかを求めヨガに出逢う。

ヨーガが現代に必要な教えを与えている事に気付き学び始める。

ジャヤーナンダ師を師事。

現在もその師の元バクティヨーガの純粋な教えを学んでいる。

バクティヨーガは完全な幸せを知る唯一の方法であり、それはセンチメンタルではなく、完全な科学です。

この世界の科学は便利さという幸せに近いことは追求できますが、本当の幸せを追求することとはまた違います。

バクティヨーガとはこの世界や宇宙がどのように構成、運営されているのか、生命体はどのような構成なのか、それを全て説いた上で、幸せとはなんなのかを私たちに寄り添うよう伝えてくれています。

完全な幸せは優しさや愛情という形でどの生命体(魂)の中にも存在し、それで満たされた本来の姿を知り、味わってもらえたら、、とバクティヨーガの叡智を伝えたく、このYoga Premaを立ち上げる。現在は東京都江東区住吉、宮城県涌谷町にてヨーガを伝えている。

資格

ギーター・プラチャーリカ/ シュリーマド・バーガヴァタム50/ インド政府公認ヨガ資格/ ホットヨガ指導資格/ FTPマットピラティスベーシック/ 全米アライアンスRYT200/ アチュータゴッドラ・ゴーディヤヴァイシュナヴァ パランパラー

ヨーガを学び指導し始め12年、yoga ziyuuを自身で立ち上げ6年継続後、一旦休止。Yoga Premaとして活動を再開。

現在は東京、宮城、他県にて経典はもちろん、経典の教えがアーサナの中にあることも伝えアーサナのクラスも行い、ヨーガの真理を伝えることに従事、尽力している。