bhagavad gita 2章 33節
バガヴァッド・ギーター2章33節
初めの祈り
om namo bhagavate vasudevaya
(ヴァスデーヴァの息子、ヴァーステヴァ、バガーヴァーンに心から敬意を表する)
【2-33】
atha cet tvam imam dharmyam sagramam na karisyasi
tatah sava-dharmam kirtim ca papam avapsyasi
(だが、もし、君の義務でもあるこの正義の戦いに参戦しなければ、義務不履行の罪を犯すことになり、クシャトリヤとしての名誉を失うのだ)
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ここでクリシュナは、【参加しないのなら、義務不履行の罪となる】と伝えている。義務を全うする功績は魂の昇進である。義務をしないということは、その逆であり負債のカルマになる。
今世与えられている義務(役割)はギフトであり、祝福されているということを私達は忘れ、自己の都合の良いものは受け入れ(遂行し)、都合の悪いものはやらない、、という勝手な判断で生きている。
しかし結局のところ、今はやらなくても必ずいつか同じような現象を全うすることになる。この世界は巡り巡って戻ってくる。そのようになっていおり、それをカルマと呼ぶ。
今世の肉体(汚れた感覚満足)の為に生きることは、人に生まれた世ですることではないよ。と、ここでもクリシュナは伝えてくれている。
罪とは、自分では決して消すことができない、そして来世以降、ずっと持ち越される【カルマ】のことである。
罪は苦しみを引き連れる。それが輪廻転生である。
犯罪を犯してしまったら、地位、信頼など名誉は失われる。その場所には居られないくらいの時もあるし、それが子供や親、家族にも影響してしまうかもしれない。
自己の与えられた役割を全うしなければ、信用を失い、その場所に居ることが難しくなる。カルマとはそういうことに繋がる負債(種)で、それがいつ、どこで起こる(芽が出て花が咲く)か分からない。カルマがあるという事は、毎瞬間このようなことが起こる可能性があるということ。
カルマを消すということは、本当の名誉を取り戻すことでもある。生まれた世を全うすること。人に生まれたら人という生き物として生きることが本当の名誉である。
私達は人として、どうやって全うしたら良いか本当に正しいことを忘れてしまっている。それはクリシュナを忘れ、魂の姿を忘れ、クリシュナとの関係を忘れ、自分が楽しむ為に生まれてきたと思っている。
私達は命は神聖なものであると理解している。それは人間が生み出す者ではなく、与えられるべき尊いものだからである。 そして、命は神聖なものから生まれ(創造され)たから神聖であり、その神聖な存在に仕える為に与えられているから神聖なのである。
不純なものがどうやって神聖なものに近付き仕えることができるだろう。
だから、それ以外に仕えようとすればいつかその現象が問題になる。私達はいつも自己の感覚に仕えている。それは(自己を楽しませたいという)俗的なものであり、だから多かれ少なかれ悩みや問題になる。
クリシュナは生命体がそのようにならない為に、自動的に神聖なものに仕えられるようヴァルナーシュラマという(義務の)システムをつくってくれた。
私達生命体は、神聖なものに仕え捧げることによってのみ、あらゆる悲苦の海から抜け出すことができる。それはヴェーダ経典にも書かれている。
神聖な存在は、命をはじめ、あらゆる生命体が生きるに必要なものを供給してくれている。それは生命体を大切に想っているということ。その神聖な存在とは誰か、それがクリシュナである。
【ishvarah paramah kurishnah sa-cid-ananda-vigraha anadir adir govindah sarva-karana-karanam 】 (至上主クリシュナは永遠で知識と至福に満ちている。ゴーヴィンダとも呼ばれるその御方は、終わりも始まりもなく永遠に存在している)(経典:ブラフマ・サンヒター)
私達のこのちっぽけな頭ではこの世界は計ることはできない。委ねるというプロセスによって、生命体はあらゆる罪から開放される。委ねるとは、季節の移り変わりと共に生きるようなものである。そこに【楽しさ】が加わるのなら、幸せとなる。
もし、愛によって委ねることができた時、生命体は永遠の至福に包まれる。
アルジュナは様々な神々から、祝福と名誉を与えられてきた。もしここで義務を放棄するのであれば、この世界での名声はもちろん、永遠の至福まで失う。 アルジュナは自己のちっぽけな頭の中だけで考えている。それは神聖なものに捧げるというプロセスから外れてしまっている。故に、悩み問題になり、大切なものまで失いかけている。
愛によって義務を遂行することをアルジュナは忘れてしまっている。それは、愛によって委ねることを忘れてしまっている。
私達もまた、義務(行為)の結果を手放し捧げるという、愛の(心を大切にする)行動を忘れてしまっている。それは最高の人、クリシュナに愛されている、といことを忘れてしまっている。
クリシュナはその愛の繋がりを教えてくれている。
次節【 2章34節へ続く】
前節 bhagavad gita バガヴァッド・ギーター2章32節
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ヨガインストラクター:
Prema Yogini d.d(プレーマ・ヨギーニー)
心の健康=幸せとは何なのかを求めヨガに出逢う。
ヨーガが現代に必要な教えを与えている事に気付き学び始める。
ジャヤーナンダ師を師事。
現在もその師の元バクティヨーガの純粋な教えを学んでいる。
バクティヨーガは完全な幸せを知る唯一の方法であり、それはセンチメンタルではなく、完全な科学です。
この世界の科学は便利さという幸せに近いことは追求できますが、本当の幸せを追求することとはまた違います。
バクティヨーガとはこの世界や宇宙がどのように構成、運営されているのか、生命体はどのような構成なのか、それを全て説いた上で、幸せとはなんなのかを私たちに寄り添うよう伝えてくれています。
完全な幸せは優しさや愛情という形でどの生命体(魂)の中にも存在し、それで満たされた本来の姿を知り、味わってもらえたら、、とバクティヨーガの叡智を伝えたく、このYoga Premaを立ち上げる。現在は東京都墨田区押上、宮城県涌谷町/仙台にてヨーガを伝えている。
資格
ギーター・プラチャーリカ/ シュリーマド・バーガヴァタム/ インド政府公認ヨガ資格/ ホットヨガ指導資格/ FTPマットピラティスベーシック/ 全米アライアンスRYT200/ アチュータゴッドラ・ゴーディヤヴァイシュナヴァ パランパラー
ヨーガを学び指導し始め16年、yoga ziyuuを自身で立ち上げ6年継続後、一旦休止。Yoga Premaとして活動を再開。
現在は東京、宮城、他県にて経典はもちろん、経典の教えがアーサナの中にあることも伝えアーサナのクラスも行い、ヨーガの真理を伝えることに従事、尽力している。