bhagavad gita 2章 31節
バガヴァッド・ギーター2章31節
初めの祈り
om namo bhagavate vasudevaya
(ヴァスデーヴァの息子、ヴァーステヴァ、バガーヴァーンに心から敬意を表する)
【2-31】
svadharmam api caveksya na vikampitum arhasi
dharmyad dhi yuddhac cheyo 'nyat ksatriyasya na vidyate
(クシャトリヤ(武人階級)の義務を考えても、正義(ダルマ)を護るための戦いに参加する以上の善事はないのに、どこにためらう必要があるのか?)
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私達は2つのダルマ(本来のやるべき義務)が与えられている。それをスヴァダルマと言う。ひとつは肉体をもって行う義務、もうひとつは魂で行う義務。生命体はこの2つの義務が与えられている。
その2つのうち、ヴァルナーシュラマ・ダルマは肉体で行う義務である。そしてヴァルナーシュラマは肉体を離れたあと、どこに行くかを決める重要なシステムでもある。アルジュナはクシャトリヤの家系に生まれたので、クシャトリヤの義務を全うすることが肉体を持っている時の義務になる。
私達は、今世与えられた義務(役割)を全うする理由は、来世で魂を昇進させる為である。この肉体は魂の為にある、と、クリシュナは私達にずっと教えてくれている。生まれてから学生、仕事、全てが魂を昇進させる目的の為に用意されており、それのシステムがヴァルナーシュラマである。
私達生命体はどうやって魂を知り、どうやってそれを昇進させたら良いか、その方法をもっていない。だからクリシュナは【自己の義務を全うすること】で、その方法を与えてくれた。
それを放棄するということは、魂の昇進は無くなり、更に肉体をもっている間も苦しむことになる。と、クリシュナはここでまた伝えてくれている。
ダルマ(今世与えられた義務/役割)はクリシュナが創ったものであり、それを全うする行為はクリシュナを喜ばせる。まるで、妻が作ってくれた料理を【美味しい】と伝えて妻が喜ぶようなものだ。喜んだ妻は次の日、夫の大好きなものだけを沢山作るかもしれない。それと同じように、クリシュナも喜び、その魂を来世ではもっと良い生命体へ、もしくは望むところへ送ってくれるのだ。
相手を喜ばせることで、自分にも喜ぶ現象が起こる。これがバクティにおけるカルマ・ヨーガである。 純粋なバクティ・ヨーガは完全に見返りのない(エゴのない)行動である。なので、(ニシュカーマ・)カルマ・ヨーガはバクティ・ヨーガの前身にある。
ヴァルナーシュラマ・ダルマは(ニシュカーマ・)カルマ・ヨーガの遂行を促している。自己の利益(二元相対的な考え/欲)を排除するシステムである。欲が本当に無くなった時、全てが優しさと愛によってのみ、この世界が織りなされていると味わう。
【生きることは問題を与えるものではなく、幸福(慈悲)しか無い】という味わいの精神性を取り戻す為に用意されている。そしてその幸福という味わいが、どのような味わいでどこから流れてくるのか、、物質的な意識は消滅し、精神的な意識が開き始める。その始まりがヴァルナーシュラマのシステムだ。ヴァルナーシュラマ・ダルマは本当の幸福を味わう始まりであり、肉体と心を綺麗にする重要なシステムである。
幸福は精神性であり、肉体と心が綺麗にならない限り知覚できないようになっている。ヴァルナーシュラマ、自己の義務を放棄するということは、肉体と心の浄化もできず、幸福から遠ざかる行為で、自分で自分を苦しめているだけなのだ。どんなことがあっても、他人に何を言われても、いつでも、どんな時も【希望は常にある】ということを強く持つことがキーにもなる。
肉体を与えられた生命体はもって与えられたグナに応じて、義務(仕事/役割)を全うすることが心を綺麗にし、喜びを知ることができる。 本当の喜びは魂が満たされることであり、感覚を満たすことではない。ヴァルナーシュラマがその知識を呼び起こす。そして、魂としてのジャイヴァダルマ(生命体の本質的な義務)を、これ以上無い最上の喜びの中でできるに至る。
自分の与えられた義務はこれ以上無い最善のダルマである。それはこのカリ・ユガに生きる生命体へのクリシュナの優しさと愛のギフト(慈悲)でもある。しかしながら、この時代の人々はそれすら難しいかもしれないと、クリシュナ自身でもある、偉大なアーチャーリヤ、チャイタンニャ・マハープラブがこの時代に生きる生命体に、更に特別な愛のギフト(慈悲)を与えた。
それは最も簡単な方法、【ナーマ・サン・キールタン】だけで誰もが、最高の完成へ至る、と。 アウトカーストも、女性も、犬喰いも、どんな人も決して資格を問わず、その完成方法を与えてくれた。これがどれ程の寛大さか、コイン数枚で争うようなこの時代に生きる私達には到底味わえない深い深い慈悲(愛)がここにある。そして何故ヨーガを求めた全ての人を癒やし救うか、、それもまたここから流れている。
ヨーガは愛そのものである。ヴァルナーシュラマがその始まりになるのであれば、慈悲のギフトであることも理解できる。
ヨーガの目的は愛の中に留まること。ヴァルナーシュラマもそこへ導く慈悲の道でもあるが、幸運で懸命な人は最高の慈悲であるナーマ・サンキールタンと共に役割を全うするだろう。
私達生命体は、自己の役割を感情によって放棄して(ためらって)はいけない。その意味は生命体を愛するが故のクリシュナからのメッセージである。
ギーターはどこをとっても愛のうたである。
次節 bhagavad gita バガヴァッド・ギーター2章32節
前節 bhagavad gita バガヴァッド・ギーター2章30節
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ヨガインストラクター:
Prema Yogini d.d(プレーマ・ヨギーニー)
心の健康=幸せとは何なのかを求めヨガに出逢う。
ヨーガが現代に必要な教えを与えている事に気付き学び始める。
ジャヤーナンダ師を師事。
現在もその師の元バクティヨーガの純粋な教えを学んでいる。
バクティヨーガは完全な幸せを知る唯一の方法であり、それはセンチメンタルではなく、完全な科学です。
この世界の科学は便利さという幸せに近いことは追求できますが、本当の幸せを追求することとはまた違います。
バクティヨーガとはこの世界や宇宙がどのように構成、運営されているのか、生命体はどのような構成なのか、それを全て説いた上で、幸せとはなんなのかを私たちに寄り添うよう伝えてくれています。
完全な幸せは優しさや愛情という形でどの生命体(魂)の中にも存在し、それで満たされた本来の姿を知り、味わってもらえたら、、とバクティヨーガの叡智を伝えたく、このYoga Premaを立ち上げる。現在は東京都墨田区押上、宮城県涌谷町/仙台にてヨーガを伝えている。
資格
ギーター・プラチャーリカ/ シュリーマド・バーガヴァタム/ インド政府公認ヨガ資格/ ホットヨガ指導資格/ FTPマットピラティスベーシック/ 全米アライアンスRYT200/ アチュータゴッドラ・ゴーディヤヴァイシュナヴァ パランパラー
ヨーガを学び指導し始め16年、yoga ziyuuを自身で立ち上げ6年継続後、一旦休止。Yoga Premaとして活動を再開。
現在は東京、宮城、他県にて経典はもちろん、経典の教えがアーサナの中にあることも伝えアーサナのクラスも行い、ヨーガの真理を伝えることに従事、尽力している。