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bhagavad gita 2章 20節

初めの祈り

om namo bhagavate vasudevaya

(ヴァスデーヴァの息子、ヴァーステヴァ、ヴァガーヴァーンに心から敬意を表する)


【2-20】

na jayate mriyate va kadacin nayam bhutva bhavita va na bhuyah

ajo nityah sasvato 'yam purano na hanyate hanyamane sarire

(魂は、誕生もなく死もなく、存在しなかった時も、存在しない時も、存在しなくなる時もない。始めなく、永遠で、絶えず存在し続ける、太古の存在である。肉体は殺されても魂は殺されはしない)

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実相である魂の性質を、更に詳しくここで伝えてくれている。ヴェーダは人類と宇宙の取扱説明書である。生命体は自己の持っている部品である、肉体、心、知性など、、その取り扱い(性質)が分からないが故に苦しんでいる。

ヴェーダは私達がすっかり忘れてしまっている情報(真理)を呼び起こす。それがこの節にも表れている。この節で、生命体がすっかり忘れてしまった魂の性質を更に詳しく伝えてくれている。たった2行の言葉だが、驚くべき知識を伝えてくれている。どの本が魂の性質を伝えてくれているだろう。

生命体の多くは、この知識を聞いてもどこか他人事と感じる。それこそがハートの汚れであり、自分は肉体だという覆いが掛かっている。

それは、魂が見えないものであり、見えないから分からないという理由で他人事なのだ。見えるものを真理だと思うことを肉体意識(幻想)と呼ぶ。それは覆いとなりハートを汚し、そして苦みに変わる。

魂の性質は変化しないとここでも伝えてくれている。肉体は6つの変化がある。生まれ、成長し、一定期間留まり、ある種の富を蓄える期間を経て、老衰、死を迎える。しかし魂は誕生すら無い。永遠に存在している。この世界の苦しみとは無縁の存在である。だからこそ自己を魂と認識することで苦しみから解放される。

ギーターは魂である自己を思い出してね、、という想いと共に、生命体の本当の姿とその性質を伝えてくれている。

魂は肉体の変化に決して影響を受けない、と経典にも書かれている。もし、何かしらの影響(悲苦や怒りなど)を受けているとしたら、それは幻想である。魂は肉体の6つの変化から自由であり、全てを知覚する知識に満ちている。

子供、学生、成人と、、今どの段階で生きていても、今よりも過去の味わいを知っている。そして何歳になっても「自分は若い」と、学生の頃と変わらないと思っている。これはどこから来るかというと魂からである。高齢な人が生き生きとしている姿は生命力(生命エネルギー)に満ちている。

それはある種、肉体の年齢は無意味であることを感じさせる。

生命力(生命エネルギー)に満ちている人は老いることを感じさせないそしてネガティブも感じさせない。それがどこから来ているかというと、完全な意識(知識)に満ちている魂なのである。

サドゥ

私達の魂(アートマー)はひとつの肉体にひとつだが、パラマートマー(スーパーソウル)は840万種の全ての生命体に存在する。「カタ・ウパニシャッド」にこう書かれている。

【パラマートマーとアートマーは1本の木の中に、共に存在している】と。

パラマートマーとアートマーは2羽の鳥に例えられる。1羽はいつも美味しい木の実を探している。もう1羽の鳥はそれをずっと見ている。美味しい木の実を探しているのは生命体である個人魂、ジーヴァトーマーであり、それを何も言わず見ているのがパラマートマーである。

生命体は木の実(物質)が幸せだと思いその実を食べつづけ、なくなったら探し続ける。幸せだと思っているものが一時的で儚いものだとも気づかず、自ら苦しみの中に入っている。1羽は間違いを犯すが1羽は間違いを犯すことはない。

これが個人魂、アートマーとパラマートマーの違いである。パラマートマーは私達生命体が振り向くのをずっと待っている。数え切れないほどの輪廻を繰り返し続けても、ずっと隣にいて振り向くの待ち続けてくれている。

生命体は、この深い深い優しさと愛情を知った時に、自ら生み出す悲嘆や苦しみから解放されるのだ。

私達は一体誰に認められたいのだろう?一体誰に分かって欲しいのだろう?私達は既に知ってもらいたい唯一には知ってもらっている。それがパラマートマーなのだ。これを理解した時、何故他人の言動で悲しくなることがあるだろうか?何故自己が認められたいという欲求が出るだろうか、、そのような無知は跡形もなく消える。

木の実を追うの止め、もう1羽居ることに気付いた時、生命体はその優しさと愛情という至福に涙する。ヨーガは慈悲深い。それは生命体が間違いを犯しても尚、幸せとはなにかを思い出せるように、いつもハートの中に片時も離れずに共にいてくれる。

そしてパラマートマーはクリシュナの様相のひとつである。ヴェーダ経典、バーガヴァタムにこう書いてある。【クリシュナは生命体が行う、ちっぽけだとも思える奉仕でさえも喜ぶ】と。それは見た目に依存していないことを伝えてくれている。形の中にある愛情だけをみているのだ。

もはや数え切れないくらいの輪廻を繰り返し、自分勝手に木の実を追い続けていても、パラマートマーに気付いたのなら、その自分勝手に木の実を追い続けていたことを度外視し、慈悲という喜び(至福)を与えてくれる。ヨーガは誰もができ、物質的なものに依存しない理由がこれである。

ヨーガは慈悲にのみ依存する。

アートマーとパラマートマーの違いを知ることは、この深い深い愛情という慈悲を味わうこと、、そしてそれを味わったのであれば全ての悲苦は幻想である、と、完全知に至る。

クリシュナこそがパラマートマーの主人であり、そして無知を取り除く愛という光である。

マドゥスーだナ

次節【2章21節へ続く】

前節 bhagavad gita バガヴァッド・ギーター2章19節


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この内容全てジャヤーナンダ師より与えられた経典の叡智から得たものです。 師の本には更に多くの教えがあり、それを学ぶことができます。

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ヨガインストラクター:Prema Yogini d.d(プレーマ・ヨギーニー)

心の健康=幸せとは何なのかを求めヨガに出逢う。

ヨーガが現代に必要な教えを与えている事に気付き学び始める。

ジャヤーナンダ師を師事。

現在もその師の元バクティヨーガの純粋な教えを学んでいる。

バクティヨーガは完全な幸せを知る唯一の方法であり、それはセンチメンタルではなく、完全な科学です。

この世界の科学は便利さという幸せに近いことは追求できますが、本当の幸せを追求することとはまた違います。

バクティヨーガとはこの世界や宇宙がどのように構成、運営されているのか、生命体はどのような構成なのか、それを全て説いた上で、幸せとはなんなのかを私たちに寄り添うよう伝えてくれています。

完全な幸せは優しさや愛情という形でどの生命体(魂)の中にも存在し、それで満たされた本来の姿を知り、味わってもらえたら、、とバクティヨーガの叡智を伝えたく、このYoga Premaを立ち上げる。現在は東京都江東区住吉、宮城県涌谷町にてヨーガを伝えている。

資格

ギーター・プラチャーリカ/ シュリーマド・バーガヴァタム50/ インド政府公認ヨガ資格/ ホットヨガ指導資格/ FTPマットピラティスベーシック/ 全米アライアンスRYT200/ アチュータゴッドラ・ゴーディヤヴァイシュナヴァ パランパラー

ヨーガを学び指導し始め12年、yoga ziyuuを自身で立ち上げ6年継続後、一旦休止。Yoga Premaとして活動を再開。

現在は東京、宮城、他県にて経典はもちろん、経典の教えがアーサナの中にあることも伝えアーサナのクラスも行い、ヨーガの真理を伝えることに従事、尽力している。